はじめたキッカケ&やってみて感じたこと

放置畑は、命をいただく教科書だった!

はじめたキッカケ

大学生のときにお金に困って生活費節約のために始めました。

当時は、サークル棟の入り口から土をもらいました。

その場所はタバコの喫煙場所となっていて、栄養がたくさんある土だったようで、本当にすくすく育ったときは驚愕したものです。

それからなんとなく今まで続いています。

食品が命に変わった日

(この章だけ小説風に紹介してます)

「ああ、私は命を食べてるんだな」

水もやらずに放置していたネギが、いつのまにやらすくすく育っている姿を見て、心の底で何かが変化した感触がした。

正直、当時の私はすっかりネギの存在を忘れていた。そんなわたしなどお構いなく、ネギは自分の「生」を全うしてすくすくと成長している。

私とは切り離された「生物」がそこに存在していた。

私は、それまで、「パッケージされた食品」しか手に取ったことがなかった。

切り身として並ぶ肉や魚に生き物としての本来の姿があることを結びつけたくなかったのかもしれない。

野菜も肉も魚も、お腹を満たすための道具でしかなかった。
いろいろな漫画や小説で「命をいただいている」という表記があっても、表面的にしか理解していなかったのだ。

生き物だから、当然、めんどくさい部分を持っている。

当然スーパーのように品質が一定に安定することなどない。

春になれば虫がつくし、晴れが続いても枯れてしまう。(←水をやらないから)

私の畑では、周囲の大人の葉っぱは枯れて、新芽しか生き残らない。

自然と農家の方への尊敬の念がわいた。

生き物だから、形も変わる。

花を咲かせるために形を変え、花が咲くと枯れた。

花が咲くまでは、いくらでも生えてきて何度も何度も収穫できるのに、花を咲かせると枯れる。

女として複雑な気持ちになった。

畑を初めてから、野菜を「生き物」として意識して食べるようにしている。

落ち込むと、世界に1人で取り残されたような気になってしまうが、「命をいただいている」と思うと少し慰められる。

この文を読んで、大げさだと思う人がいるかもしれない。

確かに私は食への捉え方に少し世間とズレているところがあるので、共感できない人の方が多いのかもしれない。

けれど、「食べ物」を何かの栄養数値や道具ではなく「命」としてみる瞬間のキッカケになってもらえればいいなと思っている。

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